新曽木発電所の取り組み
事業の概要
鹿児島県の最北に位置する伊佐市は、周囲を九州山脈に囲まれた盆地を形成しており、平地の中央部を川(せん)内川(だいがわ)が流れています。そこに、「東洋のナイアガラ」とも呼ばれる観光名所「曽木の滝」があります。新曽木水力発電事業は、この曽木の滝の流量、落差を利用した最大出力490kWの小水力発電所の運営を行うものです。
伊佐市、日本工営(株)および新曽木水力発電(株)(日本工営100%出資、現工営エナジー)は、2011年11月1日に、「曽木の滝再生可能エネルギー創出事業」実施協定を締結し、曽木の滝周辺の小水力発電事業、再生可能エネルギーに関する学習型観光・教育啓発活動の推進及び地域経済の活性化を図ることを目的に、事業を実施に移すことになりました。
本事業において、伊佐市は、旧曽木発電所遺構等と組み合わせた学習型観光の推進による曽木の滝観光の活性化と、再生可能エネルギーの教育啓発活動を進めます。一方、(株)工営エナジーが、発電事業の事業主体となり発電所の建設、運転・維持管理を行い、日本工営(株)は発電所の建設資金と技術者を手当てし、観光振興及び再生可能エネルギーの教育啓発活動を支援します。官公庁等許認可取得し2012年3月8日から建設着工し、2013年5月7日に営業運転を開始しました。
●曽木の滝
滝幅210m、高さ12mの壮大なスケールを誇り、「東洋のナイアガラ」とも呼ばれる曽木の滝。千畳岩の岩肌を削るように流れ落ちる水流とその轟音は、訪れる人々を釘付けにするほど豪快。一帯は県立自然公園となっており、四季の彩りも美しく桜や紅葉の季節には、イベントも開催されます。大型駐車場も整備されており、園内には食事処・土産品店が軒を並べています。
●旧曽木発電所遺構
曽木の滝下流約1.5kmに初夏から秋にかけてのみ姿を現すレンガ造の建物があります。1909年(明治42年)、現在のJNC(チッソ)や旭化成工業(株)等の創業者である野口遵(のぐちしたがう)によって設立された曽木電気(株)の第二発電所の跡です。昭和40年、鶴田ダムの建設時まで、曽木の滝の落差を利用した水力発電を行っていました。
野口遵(のぐちしたがう:1873年~1944年)と久保田豊(くぼたゆたか:1890年~1986年)
●野口遵は、1873年(明治6年)石川県金沢に生まれた。一高・東大へと進み、東大では電気工学を専攻し1896年(明治29年)卒業。1906年(明治39年)に鹿児島県伊佐郡大口村(現在の伊佐市)に曽木電気(株)を設立して発電事業を開始。曽木電気(株)の余剰電力でカーバイド(漁船や自転車の点灯燃料)の製造を始めた。現在のJNC(チッソ)、旭化成工業、積水化学工業等の前身日窒コンツエルンの創始者であり、日本の電気化学工業の父と称される。
●久保田豊(熊本県阿蘇生まれ)は、1914年(大正3年)東京帝国大学土木工学科卒業、内務省に入り河川改修工事に従事。後、朝鮮における水力開発構想を持って、日本窒素肥料(株)の野口遵にその事業化を進言し、野口の下に朝鮮の電力事業開発に乗り出し全朝の電力運営に当った。終戦時までに計画・建設中の設備を含めると四百万キロワットに上る。特に1941年(昭和16年)に竣工した鴨緑江水豊発電所(水豊ダム)は、当時ダム体積では世界最大の規模を誇った。敗戦後日本へと引き揚げた久保田豊が、同じく引揚げた幹部らとともに1946年(昭和21年)に設立したのが日本工営(株)である。(設立時社名は新興電業(株)。昭和22年社名を日本工営(株)に改称した。)
新曽木発電所 設備の概要
●設置場所:川内川・曽木の滝右岸に現存する旧曽木発電所の取水口、沈砂池を補強・改造利用し、沈砂池から旧水路ルートを50mほど下った地点の地下に設置する。
●最大出力:490kW
●発電電力量:年間約400万kWh(一般家庭約1,000軒分の使用量に相当)
今後の取り組み
日本工営(株)は、水力発電所の計画から設計、機器の製造、調達、施工、運転、維持管理までのワンストップサービスを提供できる点、及び自治体との業務における関りが深い点も活かし、小水力発電事業を契機とした地域活性化、地域振興アプローチを併せて検討・支援していきたいと考えています。
再生可能エネルギーの電気の固定価格買取制度が2012年7月にスタートしています。多様な事業主体による水力発電事業の実施を今後ともお手伝いいたします。
●豊富な水力発電技術ノウハウの活用による投資/維持管理コストの削減
●発生電力の有効活用法や多彩な事業スキームへの柔軟な対応
●設計・施工一体型契約による運転開始までの工期短縮